先日、auのiPhoneで店側がデータ定額(ISフラット)を契約時に付け忘れとてつもない額が請求されてきたという話があった。その額なんと395万9160円。
その後交渉によりISフラットと同額の4980円になったようだが、たった一ヶ月にも満たない期間で(しかも恐らくは通常の利用で)400万にも達する料金体系にも驚きだし、そもそもそれだけの利用料金が定額サービスに加入するだけで5000円程度になってしまう仕組みにも驚きだ。
何故このようなことが起こりえるのかと言えば単純に「日本のキャリアでのパケット通信料=パケット単価は恐ろしく高い」からだ。それが問題にならないのは単にパケット定額サービスを別に設けてユーザーにはほぼ例外なく加入させているからだけに過ぎない。
では果たして海外と比べてどれぐらいの内外格差があるのか?というのが本稿の趣旨だ。
よく「日本の携帯キャリア構造を垂直統合と言われるがAppleこそ垂直統合ではないか」「Appleは日本のケータイ業界を参考に垂直統合戦略を組み立てた」などという人がいる。
しかし個人的には果たして日本のキャリア構造とAppleの戦略を同一視し、更にはそれを理由に日本のキャリア構造について肯定的に捉える(または言い訳に使う)論法には反対だ。
また更にはそれをして「勝てば官軍、負ければガラパゴス」とまで拡大解釈する向きもあるようだ。
ここではその「Appleこそ垂直統合・ガラパゴス」主張について反論をしてみようと思う。
時々このネタがTwitterのTLで流れてくるので。
よくスマートフォンに対して、「ガラパゴス・ケータイ」「ガラケー」と従来の日本のケータイを呼ぶべきではない、と主張する人たちに出くわすことがある。曰くその理由は「従来の日本ケータイへの蔑視だ」「語源のガラパゴスは単なる地名なので言葉として相応しくない、失礼だ」などというものだ。
しかしそうした主張に違和感を僕は感じるしそうした人々は本質論が得てして出来ていない。
「ガラパゴス」という言葉がささやかれ出したのはいつ頃からだったか。
僕もはっきりした記憶は無いが恐らく使われ出したのは三年ほど前からだったのではないか。
これもはっきりしないが、僕自身の感触では当時海外製携帯電話を国内に持ち込んで好き好きに弄っていたユーザー層が自分たちで持ち込んだ携帯を様々な制限で自由に利用させない日本の携帯環境と、かなり自由度の高い海外の環境の差にあきれて、外界と途絶したという意味で「ガラパゴス」と呼び出したのが最初ではなかったか。
元々そこには「日本国内で独自に異常進化した」といういい意味は含んでいなかったような気がするが、それは他の人々が語源の意味や「日本の携帯の進化具合は素晴らしい」と考える人々によって 後から追加されたように思う。
「ガラパゴス・ケータイ」や「ガラケー」はそういう意味では自国環境を憂いた自虐的な「蔑称」であろう。しかし何故それを使ってはいけないのか、自己規制・自粛しなければならないのか、さっぱり分からない。
何故ならそれほどまでに日本の携帯環境は非難され問題化されなければならない点を含んでいるからだ。
垂直統合モデルによる業界ぐるみのカルテルとも言える仕組みは競合他社を結果的に排除し競合の参入を阻んでいる。キャリア各社はこうしたモデルの崩壊を恐れ、結果的に自由度が低く競争が発生せず消費者に不便を強いている。
契約者識別IDに代表されるようなセキュリティやプライバシー問題の存在もある。10年の昔の時代遅れの技術が未だに購買モデルという重大な箇所に使用され続け、問題点や脆弱性を常に指摘されながらキャリア各社は頬被りをして問題解決のそぶりさえ見せない。
強制的なSIMロックやアクセスポイントを意識的に隠蔽しユーザーに自由に端末を使わせず全ての利用を自分たちの管理下に置きユーザーの利用の自由を阻害する。
など。
「ガラパゴス・ケータイ」や「ガラケー」とはこうした問題点を明確に言い表すための素晴らしい「発明」であったと今となっては感じている。まさしく如何に日本は多くの海外事情に比べて「異質で消費者を馬鹿にしているか」を示す名ワードである。
そういう思いがあるから僕は 「ガラパゴス・ケータイ」「ガラケー」を積極的に使う立場だ。
一方で「ガラパゴス・ケータイ」や「ガラケー」を使うべきでない、と訴える人々は上記をどう捉えているのだろう。
僕には知る由もないが、仮に問題点を理解せずに「蔑称は使うべきではない」という耳障りのいい話に流されているのだとしたら、ぜひ上記の問題に触れて自分でどうあるべきかもう一度考えてみて欲しい。
ガラパゴスと呼ばれる垂直統合モデルがどんな問題を引き起こしているか、拙作で恐縮だが以前こんなエントリーを上げたことがある。問題の一部かも知れないが概要は理解できるはずだ。
契約者識別IDは利用者のプライバシーを蔑ろにし今日では全く歓迎できるものではないが未だに日本の携帯業界は採用を続けている。海外ではこのような方式はほぼ採用しておらずまさしくガラパゴスな好例である。問題点については(技術的な部分が多いが)高木浩光氏の有名なエントリーに詳しい。
SIMロックやアクセスポイントの問題については数多くの問題点を指摘したエントリーがネット上にはあるので検索して欲しいが、拙作ではアクセスポイントについてこのようなエントリーを上げたことがある。
問題は上記を知りつつそれを隠し、本質を見せないようにしつつ言葉狩りに走っている人々だ。
それが誰なのか、とは言わない。しかし昨今の議論の中ではこうした問題点には全く触れずただ言葉狩りを訴えているだけに見える人も多くみかける。
それがキャリアやメーカーの人間であればある程度の理解は出来る。自分たちの立場も踏まえた上での発言であれば、ある程度のポジショントークもやむを得ない面はあるだろう(それでも健全に素直な議論をお願いしたいものだが)。
しかし一部のライターと呼ばれたり自称”ジャーナリスト”な人々についてはどうだろう。
上記のような論点を知らないのだとすれば全く持って勉強不足だし、キャリアやメーカーにおもねて「言葉狩り」に走るのだとしたら論外だ。
我々消費者としては言葉狩りに惑わされる必要はない。言葉は生き物だしここまで広まった言葉を否定する必要もない。「それが失礼だ」というのなら、何が何に対して失礼なのだろうか。消費者がキャリアやメーカーに何を気を遣う必然性があるのか。消費者とは独善的なまでに消費のための要求を行うべきなのだ。
それよりもぜひ気を付けて欲しい。本質に気付かれたくない人たちは常にいつの時代でもこうした些細な問題に目を向けさせ本質論を阻もうとすることに。
小さな問題に気を取られてより大きな問題を見誤ってはいけないことに。
また高木さんが恐ろしい記事を上げている。
これまでも日本のケータイWEBの問題点は様々な人に数々挙げられてきたが、この記事の指摘は中でも最大のターニングポイントになるだろう。
ここまで破綻しているケータイID認証(簡単ログイン)
実はこの記事での指摘点には個人的にも言及したい点があるのだけど、ちょっと理由があるのでそれはまた後日にしたい。それは恐らくこの記事だけから受ける印象よりも実はこの問題はひどく根が深く影響は幅広いということだ。
日本のケータイWEBの有様は特徴的だ。特に技術的な立脚点によるものが大きいと思うが、それが「ガラパゴス」と呼ばれるゆえんであることはまず間違いない。特異な技術立脚点が海外や他キャリアとの互換性を蔑ろにし、独自な進化をせざるを得なかった(独自に進化したのではなく、せざるを得なかった点に注意)ということだ。
ではその「技術立脚点」とは何か。
僕は個人的には「パブリックなインターネットをインフラにしてクローズドなケータイ・ネットワークを作り上げること」を主眼にした点だと考えている。
以前モバツイで有名なえふしんさんがこんなことを言っていた。
http://twitter.com/fshin2000/status/9612891626
もろもろセキュリティのことまで考えると、携帯サイトはガラパゴス(国内で閉じてる)の方が良いんじゃないかなぁ。
個人的にも以前から感じていたことでほぼ同意である。
というか、そもそもケータイWEBネットワークはもともとここまでの興隆を予想して組み立てられていないのだと推察する。
以前挙げた日本のケータイWEB(モバイルEC)を脆弱に支えている三原則を再掲する。
(1) そのアクセスがそのキャリアの携帯網からのみであることをサービスプロバイダーが保証すること
(2) 携帯網では端末IDが偽装されていないことをキャリアが保証すること
(3) 端末の自由度を低くして端末IDの偽装などの可能性をできるだけ低く保つこと
これはつまり大前提として、ユーザーがこのケータイWEBに介入できるのはケータイ端末の「操作」までであって、自由な端末やアプリをケータイネットワークに接続することは想定していないということだ。
これは恐らくこういう事だったのではないだろうか。
そもそも一番最初にケータイWEBを企画する際にインターネットへの接続を行うことは当然MUSTだった。つまりインフラとしてはインターネットをそのまま利用すると言うことだ。またサービスプロバイダーを引きつけるためにはお金を生む仕組みを用意しなければならない。契約者固有IDのような課金通知の仕組みは必須である。
しかし当時セキュリティという観点ではPKIなどの完全なセキュリティ手法の導入には手間もかかり端末の性能も限られている。しかし何も行わなければインターネットという性質からはなりすましや情報漏洩はほぼ防げない。
そこで「簡単に」ケータイ側を「セキュアに」保つために先の三原則が考え出された。
つまり契約者固有IDを守るために「端末」「回線」「データ」をインターネット上からできるだけ切り離しその中にもう1つの「クローズド・ケータイネットワーク」とすることでこれら情報を守ろうという試みである。
IPアドレスでの制御であったり端末への独自アプリの禁止などといった稚拙な方法であり全くレベルは異なるが、「安直なVPN」とでも思えばいいのかも知れない。
当時今ほど日本は垂直統合モデルは強くなかったと記憶しているが、そのために端末仕様を強制したり一部のサービスプロバイダーを公式サイトと認めて契約者固有IDの取り扱いをキャリア支配に置くなど、必然的に垂直統合モデルが必然となった。
どうだろう。これは想像でしかない。しかし一定の説得力のある仮説にもなっていないだろうか。
しかし当然時代が変われば状況も変わる。高木氏が指摘したポイントも当時は想定されなかった技術的な変化故だし、またSIMフリー化の流れも微妙なプレッシャーを与えつつあるかも知れない。
ケータイWEBが変わったのではない。周りの環境が変わったのだ。一理ではだからこそケータイWEBはこのままでは変化は起こせないだろうとの諦めもある。一方で、まず間違いなくいつの日にか莫大な被害を及ぼしながら日本のケータイWEBビジネスが信用崩壊する危険性は日に日に高まっているとも言える。
だからこそえふしんさんの主張も説得力を持つことにもなる。
では現状ケータイWEBはどうあるべきなのか。
まず第一に契約者固有IDの送出先は各キャリアの認める公式サイトだけにすること。勝手サイト、すなわち「クローズド・ネットワーク」以外への送出は一切禁止とする。契約者固有IDのような「インターネット標準」ではないID送出を勝手サイトなど公式サイト以外に送出してはならない。
次に公式サイトはキャリアネットワーク(ゲートウェイ)とVPNなどのインターネット標準のセキュアな接続を行うことを必須とする。そしてこの場合のみ契約者固有IDを送出することにする。これは通信を秘匿する/通信先を限定するという意味もあるが契約者固有IDの送信先を各キャリアと限定的な「クローズド・ネットワーク」に閉じ込めてしまうという意味もある。これにより現行のあいまいなクローズド・ネットワークよりもより強固なクローズド・ネットワーク化により契約者固有IDは守られることになる。
第三に公式サイトはキャリアネットワークのVPN接続以外からの接続を受け付けてはならない。つまり通信は完全にクローズド・ネットワーク内に閉じ込めるようにする。
これらより詐称や偽装という問題は(データや処理を正しく取り扱える限り)ほぼ回避できるはずだ。
しかしこのままでは今より使い勝手が落ちユーザークレームももちろん増えるだろう。上記は現状の「ガラケー機」つまり契約者固有ID送出可能な従来の端末または携帯網用のアクセスポイント接続時に限ることにする。上記はすべてネットワークサイドのポリシー変更で可能なのでこれまでの端末はそのまま使用可能だ。
一方でスマートフォンに代表される、契約者固有IDに頼らない新しい認証や課金方式にWEB標準として対応可能な端末とアクセスポイントへの接続を共存させる。こちらは接続先には制限は設けなくてよい。何故なら純粋なインターネット利用端末に過ぎないからだ。そして時間をかけてこちらの方式への移行を促すことにする。
二方式を併存することは新方式への移行を促す期間のモラトリアムであると同時に、 自由競争を作り出す規範ともなるだろう。また明確なクローズド・ネットワークと位置付けることで、例えば未成年者用の端末はクローズド・ネットワーク対応のみとすることで例えば公式サイトしか接続できないような「キッズ・ケータイ」も可能になるかも知れない。
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さて、これらのことは絵空事だろうか。全くの杞憂に過ぎないフィクションですむ話だろうか。
その答えは高木氏の指摘の行間に実は潜んでいると思っているが、その話はまた後日・・・(にできるといいなぁ。。)
総務省がSIMロックの解除要請の方針を打ち出したと言うことで少し話題になっている。
個人的な立ち位置を先に表明しておくと、僕は「SIMフリーも選択できるようにして欲しい」という立場。別にSIMロックを前提にしたビジネスモデルがあってもいいけど、ビジネスモデルを阻害するというキャリアの身勝手によって消費者がSIMフリーを選択できないのは問題だ、ということです。
「果たしてSIMロックがガラパゴスの元凶か」というのも論点になっているがそれは後として、 面白い論評をソフトバンクモバイル副社長の松本氏が述べているので先に簡単に触れておきたい。
皮肉なことにこの論評が述べているのが実は「キャリアがSIMフリーを排除したい」理由にもなっているという点だ。特に自身らのビジネスが如何にSIMロックを前提にしてしまっているか、気付いてか気付かずにか、大変に分かりやすく説明されている。
中段のさて、ここで問題の核心に入ります。というところまではいいだろう。ここまではまあまあ僕の上記の意見とも実は合致していて、「SIMロックもあればSIMフリーもある状況なら受け入れられる」という結論もまあ妥当だ。
しかしここから何故か「如何にSIMフリーは悪か」について説明が始まる。なお氏は「SIMロック解除がすべての端末で強制されれば」の前提で書かれているようだが本質的には「SIMフリー端末がキャリアに与えるインパクト」とも読み取れる。また先の読売の既報によれば契約から一定期間が経過した端末に限るとされている。
氏の論に依れば、日本のキャリアの端末・サービス・ 通信回線が三位一体で始めて現在のサービスが提供できるのだという。そしてそれが伴わなければ(1)各端末メーカーの互換テストが大変になる(2)キャリアにより使えないサービスが出てくる(3)3GよりWi-Fiを優先するなどの通信帯域を必要以上に使わない仕様に端末をしてもらう必要がある(4)端末助成金が無くなるので高くなる(5)(自由に使えると)不正に入手した端末の犯罪利用が増える のだそうだ。
しかし一読してもこれらを「SIMフリーが行えない」理由にするのは氏の立場を考えてもおかしいだろう。
まず(2)(4)は完全にキャリアの都合の話だ。キャリア間で互換性のないサービスを作り出してきたのはキャリア自身だ。また助成金はキャリア自身が生み出した仕組みだ。それをフリー化できない言い訳にすり替えるは厚顔無恥としか言いようがない。また(1)(3)も、では何故御社ではiPhoneを提供できているのだろう。そうであればAppleはiPhoneの計画段階からSoftbankにパートナーを決めていてテストを繰り返していたことになるが事実だろうか。決してそうではあるまい。更に言えばではこれらのことが他のSIMフリーを導入している国で問題になっているのだろうか。互換性と言うことで言えば、では何のために標準仕様(実装のためのノウハウも含む)が存在しているのだろうか。
こうした稚拙な論の最後に必ず持ち出されるのが(5)だ。「幸いにして」窃盗された端末が犯罪に使われた事例は当時大きく報道され問題化したので論としても張りやすい。しかし犯罪抑止というならそもそも携帯の存在自体が犯罪に使いやすい側面こそがあるわけで、それをSIMフリーのみに理由付けするのはおかしい。またであるなら、そもそも(PDCのような)「SIM脱却論」に発展させないのは何故なのか。つまりそこまではコストをかけたくない程度の問題意識でしかないということだ。であればSIMフリー論の足枷になるレベルでもないだろう。
ところでこの記事は「アゴラ」に投稿されている。池田信夫氏によればアゴラとは「Huffington Postのような「言論プラットフォーム」をつくる試み」であり「専門家が実名で発言することによって、政策担当者やジャーナリスト、あるいは一般市民との交流をはか」るのが目的とある。ある程度立場のある人々のあつまりであればある程度のポジショントークもやむを得ない面もあるだろう。しかしこうも露骨な「自社利益への誘導」を目的としたエントリーも許しているのだろうか。そうであればその言論プラットフォームとは何を目的としどこへ向かおうとしているのか、はなはだ疑問だ。
さてどうやらSIMフリーというのはキャリアにとっては随分嫌なもののようだ。恐らくその理由は「自らのビジネスモデルを阻害する」からだ。そして総務省が進めようとしているオープンプラットフォーム構想も随分とキャリアからの風当たりが強いようだ。これも同じく彼らのビジネスモデルを阻害するから、ということになるだろう。
ではそのビジネスモデルとは何なのか。その根本は何なのか。
そのためには少し日本のガラパゴスと呼ばれるビジネスモデルと技術的な背景の成り立ちについて考えてみる必要がある。
1999年にiモードが誕生した時1つの「発明」が生まれた。それが「端末ID」だ。サブスクライバIDや個体識別番号などとも呼ばれる。物理的にはSIMカードと紐付き論理的には契約単位や電話番号と紐付けられ、どの端末(または契約単位)からのアクセスであるかをWEBサーバー側へ知らせるために使用される。機能的にはただこれだけの単純なものだ。
しかしどの契約と紐付いているかは当然キャリアは把握できる。そして契約は当然口座やクレジットカードと紐付いている。そこで「端末ブラウザからのアクセスによる購買をキャリアが保証する」ビジネスモデルが生まれた。これが今日まで大成功と言わしめiモードの名を世に轟かせた「モバイルEC」の姿だ。その根本原理はその後10年間実は何も変わってきていない。発信された端末IDをキャリア(または公認され端末IDを受信できる公式サイト)がただ受け取り購買行為としてまとめられているだけだ。docomoに限らずその後現Softbank、現auまたイーモバイルも同様の仕組みを取り入れ公式サイトを中心に取り込んだ。
この仕組みは単純でHTTPやWEBアプリとの相性も良かったので簡単に広まった。またユーザーは4桁の暗証番号を入力するだけで(あるいは入力しなくても)購入が可能でまたキャリアの請求に合算されるのでECの付きものの敷居が低く受け入れられやすかった。
結果、日本は 世界で類を見ないほどの「モバイルEC大国」となった。
また購買に関わる以外でも端末IDは認証などに転用され、現在ではモバイルサービスを支える基盤となっている。
国際的にはこうした「端末ID」という考え方は(僕が知る限りでは)存在していない。キャリア回収モデルとしてはSMSで支払いをする、などのケースもあるようだが、多くの場合はモバイルECとはPCと同じように例えばクレジットカードを入力して行うもののようだ。
その点ではこの「端末ID型モバイルEC」のビジネスモデルは非常に優秀だったと言える。
しかし単純であると言うことは偽造も簡単だと言うことだ。例えば他人の端末IDを知り得てそれをECサイトに送り込めれば簡単に偽装可能となる。
そこでこの端末IDを完全なものにするには3つの条件が存在する。
(1) そのアクセスがそのキャリアの携帯網からのみであること。携帯網以外からのアクセスの場合には端末IDは偽装されている可能性がある。そのため各キャリアは端末がアクセスしてくるSRC IP(発信元IPアドレス)の一覧を公開している
(2) 携帯網は端末IDが偽装されていないことを保証しなくてはならない。すなわち端末IDはキャリア側ゲートウェイが付加すべきであり、例えば端末IDは通常HTTPメッセージ上に現れるがあらかじめ端末IDが付加されていた場合にはキャリア側ゲートウェイはこれを削除するか正す必要がある
(3) 端末の自由度が低いこと。例えば自由にユーザーがアプリを導入できる端末であれば端末IDの偽装を試みるアプリが開発されるかも知れない。(1)(2)を満たしていればほぼ偽装は出来ないと考えられるが、自由度を低くできればその危険性も低くできる
気付いて頂けるだろうか。この(1)から(3)を完全に満たすには、奇しくも松本氏の言うように「端末・サービス・ 通信回線が三位一体」でなければ不可能なのだ。
メーカー(端末)はキャリアの仕様に沿った端末のみを供給することで(3)を満たし、キャリア(通信回線)は(2)を満たし、プロバイダー(サービス)は(1)を保証する。
どれが欠けてもこの 「端末ID型モバイルEC」は成り立たない。
キャリア(や取り巻きのサービスプロバイダー)がもっとも恐れるのはこうした「単純な」技術に立脚したビジネスモデルが壊れることだ。これらは彼ら自身のエコシステム(必ずしも消費者中心のエコシステムでない点に注意)であり生命線だからだ。
そろそろ問題の正体が見えてきたようだ。
つまりSIMロックの議論とは純粋にSIMはロックされるべきか否かではない。キャリア側論者が問題をすり替える裏には必ず上記に繋がる何かがある。例えばSIMフリー端末が出回り、しかしキャリアの息がかからないことによって端末IDモデルを崩壊される足がかりにならないか、などの懸念だ。
また海外ではAppleに限らず端末メーカー主導でのビジネスモデルが盛んだ。これもやはり奇しくもiPhoneが日本型モデルによらずとも別のエコシステムを運用できてしまうことを実証してしまった。
キャリアからすれば「黒船携帯」はともかく、「ガラケー」だけは何としても死守したいに違いない。そのためにはSIMロック解除などと言う自分の島を荒らされる可能性のある行為は避けたいのが本音だろう。
では「ガラパゴスの本質とは何か」との問いには幾つか挙げられると思うのだけど(以前少しまとめたことはありますが)、もっとも端的にもっとも顕著に集約されているのがこの端末IDの仕様とそれへのビジネスモデルの寄りかかり方であろうと思う。
繰り返すが僕はただ自分の好きな端末を(多少の不便はあっても)自由に使いたいだけの消費者だ。キャリアやサービスプロバイダーの事情やましてやメーカーの世界進出なんてどうでもいい。しかしそうした当然享受できてもおかしくない「自由」がそれら関係各所の都合とやらで閉ざされているのであれば話は別だ。
こうした論議がオープンになされるのはこれまでの状況に比べれば全くもって健全な方向ではあるのだけど、得てして立場があったり何らかの「既得権者」との議論はまた得てして些細な各論に終始して不毛な議論に振り回されることがある。それは本質に触れられたくない人々も多いからだ。また特に気になるのは、成熟したマーケットに関わる議論だけにポジショントークが多いのは仕方がないのだけど、「消費者」という立場の人たちの声が少ないようにも感じる。
それだけに如何に議論を本質に近づけるか、そのために何を知るべきかの選択は非常に重要だと言える。そのためにもSIMロック議論だけに立ちとどまらずより広範囲な議論形成と論点整理が大切になるのだ。「賢い消費者」になるためにも。
一部方面でMMSやらSafariのアップデートやらSpotlightやらを他所に妙に盛り上がっているテザリングですが、ようやく設定の要領がわかってきた気がするので幾つかヒントをまとめてみます。
とは言えお勧めするものではないので具体的な方法は示しませんが、いろいろ試したくて試行錯誤している人には参考になるかも。
但し高額請求が発生する可能性も多々あり、キャリアとの契約に違反している可能性もあります。筆者は何ら責任をとりませんので、自己責任にてお願いしますね。

あまりこういう会には行かないんですが、ブロードバンド推進協議会が主催する「オープンプラットフォームの進展で期待したいモバイル・ブロードバンドビジネスの将来展望」(長い!)というパネルディスカッションを見てきました。
参加してみたくなったのはメンバーがなかなか面白そうだったから。
谷脇康彦(総務省情報通信国際戦略局 情報通信政策課長)
松本徹三(ソフトバンクモバイル株式会社 取締役副社長)
夏野剛(慶応義塾大学 特別招聘教授)
山根康宏(携帯電話研究家/ジャーナリスト)
ね、面白そうでしょう?
夏野氏はdocomoは退職済みですが、あの「iモードの生みの親」です。本人は「前職のことなので」とは言ってましたが発言自体はキャリアの立ち位置そのままでした。
山根さんは言わずと知れたあの山根さんです。初めて生山根さんを見て、ちょっとだけミーハー視線を浴びせてしまったのは内緒です。
このように官僚代表とキャリア代表と携帯研究家(笑)が一堂に会するパネルディスカッションもそうそうは無いでしょう。
パネリストはかなり豪華でしたが思いもよらずまさかあのようにぐだぐだな経過を辿り、そしてあんなまさかのどんでん返しがあろうとは。
時系列で簡単ですが内容を紹介してみます。
auには興味は沸かないけど、これはいいですねー。
Walkmanとか関係なく、デザインだけでつられる層が結構いそうだ。

日本の携帯に思えないデザインセンスはさすがソニーエリクソンと言えるでしょうか。
昔ドコモにあったpreminiにちょっと似てますね。あれもかっこよかったー。
Walkman携帯って海外では普通に出回ってますが、日本ではこれが本格展開になるのかな?
案の定、音楽以外の機能が物足りないのは残念ですが、この携帯は海外で展開ているノウハウと日本ならではの機能がうまく融合できた、理想的な例かも知れませんね。
こういう個性的な携帯をキャリア関係なく使いたいんだけどなー。
S21HでInternet Explorerを利用した場合のHTTP_USER_AGENTは、「Mozilla」を冠したものであり、たいていの場合はPCからのアクセスとして振り分けられる。その結果、携帯電話端末であるのにも関わらず容量の大きなPC向けサイトの閲覧を余儀なくされるというわけだ。
極めてよく分かっていないですね。
User Agentで判断している場合もあると思うけど、多くの場合はいわゆる携帯網のIPからのアクセスかどうかでまず一次的には分けてると思いますけど?
これって何も事実を確認せずに、思い込みだけで書いてないか??
ぐお、マジか。。
ノキア、日本市場での事業展開を見直し
さもありなん、といったところでしょうか。あれだけ海外でシェア持っていれば微々たる日本の売り上げのための投資なんて、無駄なコスト以外の何者でもなかったでしょうね。
経営としては正しいと思いますが、ユーザーとしては残念。。
SIMアンロックで、国内キャリアでの利用は保証しなくていいから、日本語対応端末を出して欲しかったです。
せめてE71はちゃんと出して。買うから。
先ほどの記事では書かなかったけど、キャリアだって”ガラパゴス”化からはデメリットは受けると思うんですよね。
海外ではNOKIAやサムソンなどが豪勢をを極める一方で、三洋や三菱、ソニーエリクソン(は一部キャリアからだけど)にノキアなど、これだけメーカーが携帯事業から撤退する国がどれだけあるか。
「携帯が売れない」とか言うけど、当たり前。以前よりより少ない種類の端末、目新しいことが起こらない端末と閉塞感。それをユーザーが敏感に感じ取っているだけ。
官製不況じゃないですよ。ビジネス構造が引き起こしている「キャリア発信型不況」ですよ。
守ることしかできないキャリアでは決して抜け出せない、綿で首を絞められて窒息していくような、そんなスパイラルに陥っているんだと思います。
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