理由は果たして何が正しい日本語で正しくないのか、判断できないから。
こちらのブログでも指摘されていることなのだけど、例えば「年俸(ねんぼう)」というのは実は誤読だ。同様に「年棒」も間違い。正しくは「年俸(ねんぽう)」である。
ATOKであれば正しい「年俸」以外の選択肢は出てこない。「ねんぼう」で変換しようとすると「年俸の誤読」としっかり指摘される。
Googleの発想は恐らく(少なくとも建前上は)「テクノロジーは悪ではない」といういつもの考えに尽きるのだろう。つまり検索エンジンにせよ今回の日本語入力にせよ、膨大なデータから純粋に機械的に集積したものであって、それ自体に悪かどうかなどの視点は含んでいない、ということだ。たとえそれがますますGoogleへの依存を高めるにせよ。
すなわちwisdom of crouws(群衆の叡智)を第一とする考え方である。
けれど、果たして大衆の意見が常に100%正しいだろうか。特に何か一定の答えが厳然として存在する場合には尚更だ。
人間は誤読もするし勘違いもする。それらを何ら一定の判断を課さずに集計するだけでは本当に正しい事実(=真実)には近づかないだろう。
今回の日本語入力はまだ失敗作だと思うのだけど、集合知をいかに活用するべきかのよいテストケースにはなっていると思う。集合知はまだまだ活用するにはその加工が問題になりやすいと思うのだが、そこを超えるブレイクスルーが見つかるきっかけにはなるかも知れない。
ということで、要するにビジネス文書や普段の文書でも恥ずかしい間違いをしたくないので、言語能力を無くした現代人としてはIMEには頼れるナビゲーターであって欲しいというのが理由になるだろうか。
とは言え、少し使うだけでもその語彙の網羅性は確かに強力で、それだけでやられてしまうのもよく分かる。
ならば、もし本当にGoogleが「これでお金を儲ける意図はなくて、純粋に集合知を持って世の人々に貢献したい」とか思うのであれば、ATOKのプラグインとして提供すればいいではないか?
IMEとしての性能ではまだまだATOKの方が上だと思うし、そこにJustSystemなりがGoogle日本語入力の語彙に専門的なトリアージュを施せば最高の出来になると思うんだけどなぁ。