2010-11
28
05:22:27
Appleは本当に垂直統合なのか – 日本の携帯キャリアとの違い


よく「日本の携帯キャリア構造を垂直統合と言われるがAppleこそ垂直統合ではないか」「Appleは日本のケータイ業界を参考に垂直統合戦略を組み立てた」などという人がいる。
しかし個人的には果たして日本のキャリア構造とAppleの戦略を同一視し、更にはそれを理由に日本のキャリア構造について肯定的に捉える(または言い訳に使う)論法には反対だ。
また更にはそれをして「勝てば官軍、負ければガラパゴス」とまで拡大解釈する向きもあるようだ。
ここではその「Appleこそ垂直統合・ガラパゴス」主張について反論をしてみようと思う。

垂直統合の本質とは何か

ではそもそも垂直統合の根本とは何なのか。
日本のキャリア戦略の一環としては、以前紹介したソフトバンクモバイルの松本副社長の「主張」がそのまま当てはまるだろう。
つまり「通信回線・端末・サービス」を三位一体としてビジネスを展開するということだ。更に言えばこれにCPがパートナーとして深く関わり(つまり定義された回線・端末・サービスの方向性を大前提として)、松本副社長の主張によればユーザーに対して「ワンストップサービス」「安定したサービス品質」を届けることであるという。
これはこれで間違っていないと思うが、もう一点認めるべきなのは、同時に「キャリア・CP・他利害関係者」も三位一体としてビジネスモデルで深く結びつき、自身らに都合の良い「エコシステム」を永遠に回し続ける仕組みを確立している(またはしていた)という点だ。
これは一般的には「囲い込み」という。
囲い込みでは何が問題になるのか。僕も以前エントリーで挙げたことがあるが、つまりはユーザーのためのエコシステムではないということだ。ユーザーはそのお仕着せのエコシステムの中でしか消費行動や選択が起こせない構造になっている。ここが最大の問題点であり、総務省が問題ともしており改善を業界に迫っているポイントでもある。

Appleとの違いの意味するところ

ではAppleはどうか。
まず言えるのはAppleは通信回線については基本的にノータッチと言うことだ。つまり自分たちの範疇ではないと明確に理解している。
もちろん各国でどのキャリア(オペレーター)と組むかは大きな戦略ポイントではあろう。日本ではSoftbankと組んだからこそこれだけ大成功したとも言えるし、パートナーとして選択するからこそキャリアに特別扱いしてもらうなどの見返りも大きいはずだ。また販売チャネルも(国によるが)キャリアに任せられる点も大きいだろう。
だがだからと言ってAppleの戦略モデルが先の三位一体になっているとは言えない。あくまでAppleの戦略・戦術の目指すところは「端末とサービス」であり、やはり通信回線については除外されている(あるいは後付けでしか考えられていない)と見なすべきだろう。
これは何を意味するか。それこそが 日本のキャリア構造と本質的に異なる点となる。

通信からの発想とサービスからの発想

すなわちAppleは通信回線を持たない故に「サービスおよび自社ハード」からの戦略しか行っていないということだ。
Appleが常に強調する点として「ユーザー体験」ということがある。つまり、これまでAppleは何度となく世間の常識を覆す製品・サービスを発表し成功してきたがその中心にはやはり「ユーザーが何か新しい体験が出来るか」を念頭に様々な製品戦略を練ってきたのだと思っている。
その過程では実のところハードは重要性を持たない。ハードだけで実現できる新たなユーザー体験などそうはないからだ。その証拠に、例えばiPhoneは既に四代目となっているが(日本では三代目)その基本機能・デザイン・性能・操作性は初期から大きく変わっているだろうか。せいぜい3G対応やカメラの画素数、CPU性能というある意味地味な部分が進化しているにすぎない。
一方でOSは大きく変わってきている。そしてOSをプラットフォームとして様々なサードパーティーアプリが更にその「ユーザー体験」を数十倍、数百倍に膨らましているのは周知の通りだ。
この戦略の中ではハードウェア自体、「手段」にしかならない。「目的」でも無ければ「出発点」でさえ無い。
何故自社ハードに拘るのかと言えば(コスト・コントロールと流通コスト削減という意味も大きいとは思うが)、その「サービス」を目論見通り一点のズレもなくユーザーに届けるには必要不可欠と考える結果ではないだろうか。
これは「サービスからの発想」そのものに他ならない。

一方、日本のキャリアがこの三位一体策を強化しだしたのはやはりiモード登場後だろう。それ以前は単なる通話しか提供していなかったからまさしく「土管屋」でしかなかった(それが当たり前だから土管屋という認識もなかったと思うが)。
しかしiモードを始めとする「モバイルECビジネス」が思いの外成功してしまった。これは通信費以外に端末販売、コンテンツ販売手数料更にはより上位レイヤーのサービス全般まで手を広げることが業績をどんどん拡大し会社を大きくしていくことに繋がった。その結果、主要三キャリアは現在では営業利益では常にベスト10へ名を連ねるまでになった。これは大変特別な業界だ、ということも意味する。
すなわち、これは「通信からの発想」だ。曲がりなりにも「通信インフラ企業」なのだがハードからアプリ・サービス・ECへと手を広げ続けることが成長の絶対条件となってしまったのだ。
結果、三位一体施策が完成され、それ以外のビジネスモデルでは勝負しない体制が出来上がった。
そしてその体制においては、ユーザーにキャリアが指定するサービス以外に外れてもらっては困るし、そのためには専用のハードウェアを押し付けないといけない。そしてそのサービスは、そもそもの仕組みが自社内で完結しているわけだから他キャリアや海外と互換性を保つ必要性も無かった。そしてその結果として「囲い込み」は(競争原理を阻害するにも関わらず)「まともなビジネスモデル」として認知されるに至った・・。

僕はこのように考えるのだが、いかがだろうか。

Appleは「囲い込み」をしているのか

一方、「Appleも市場を独占しユーザーの囲い込みをしている」との批判がある。もちろん例えばiPodの市場占拠率が70%前後だった頃もあったそうでそういう視点があるのもやむを得ないだろう。
しかし例えばiPhoneのAppStore市場は果たして「囲い込み」だろうか。
AppStoreの審査の「身勝手さ」は有名であり自社に都合の悪いアプリは審査を通過しない。しかし一方でiPhoneでのアプリがAndroidやあるいはWindowsMobile、BlackBerryなどで展開されていないということは無い。例を挙げるまでもなく複数デバイス対応を謳うアプリやサービスは多数ある。無論マーケットの差異からiPhoneでしか展開されていないアプリもあるだろうが、それはAppleとは別の問題だ。
ユーザーにすればこれを乗り換えるのは比較的容易い。

iTunes Storeが閉鎖的だ、という声もあるかも知れない。例えば以前Palmが自社製品をiTunesと同期可能にしたところAppleは即座にこれを行えないようにしてしまった。
であればiTunesに登録された楽曲はAppleが囲い込みユーザーは簡単に乗り換えることは難しいのだろうか。
勘違いが多いと思っているのだが、実はiTunesは考えられる限り非常に柔軟でオープンだ。
iTunesは実はWindows/MacにおいてAPIを初期の頃から用意している。これによりiTunesのほとんど全ての機能が外部アプリからコントロール可能である。もちろん楽曲やビデオの取り出し/登録やプレイリストごとのエクスポートも可能だ。そうした機能を用いて多くのサードパーティー製品がiTunesとの連携やはたまた自社製品へのインポート機能を提供していたりもする。
脇道にそれるが、それに比べるとSonyのMedia Go(PSPや携帯/スマートフォン向けマルチメディア管理ソフト)の方がよほど閉鎖的だ。Media GoはiTunesからのインポート機能は 実装しているが、少なくとも僕が見る限りiTunesのようなAPIは提供されていない。この状態では一度Media Goで管理しだした音楽やビデオを他社製品に乗り換えるのは困難なことだろう。
恐らくiTunesに対して閉鎖的なイメージを抱かせているのは実はDRM(Appleの場合はFairPlay)の存在だろう。この場合、確かにiTunes Storeから買ったDRM付き音楽などは他社製品では再生できない。
しかしこれはAppleの都合ではない。音楽業界からの強い要請によるものだ。
しかもそもそもJobs氏自身はDRM反対派であり、iTunes Storeでは実際に可能なものについてはiTunes Plusという名称でDRMフリーの音楽も売られている。
DRMの存在を持って、iTunesのオープン性を否定するのは事実に反している。

サービスを制するものが世界を制する

僕はAppleの狂信者でも無いしあえてAppleだけを擁護するつもりもないが、しかしiPhoneに代表されるAppleの大成功を逆手に取り、日本のキャリアの垂直統合・囲い込み施策・カルテルを自ら肯定化する動きには断固として抗議する。
それはあまりに事実を曲げすぎており、またみっともない行為だと感じるからだ。
中には「海外勢は日本の垂直統合モデルを参考にして最近のスマートフォンなどの戦略を作り上げた」などとする恥も外聞もない主張をする向きもあるようだが、こうした根本的な違いを目の前にしても、そんな恥さらしな発言が果たして出来るだろうか。

世界の携帯業界は果たして「囲い込み」に向かっているのだろうか。そうでは無いと僕は思う。
世界が向かっているのは「サービスレイヤーへの特化」である。
そもそも日本以外のキャリアにハードに対する拘りは全く無い。メーカーはもちろんハードを売るのが商売なのでその点は外せないだろうが、Androidを例に挙げるまでもなくハード・スペックだけではもう売れなくなってきているのは重々承知している。だからこそAppleのAppStoreの成功を見てここ1-2年は続々とメーカー自身によるアプリストアやネットワークサービスの立ち上げも活発だ。 今年になるまで立ち止まり続けてきたのは日本の携帯業界だけだ、という状況だろう。

通信回線またハードが競争する時代はもう終わった。今後キャリア・メーカー・コンテンツプロバイダー入り乱れてのネットワークサービスの戦いが既に始まっている。音楽業界での勝負も一息付きつつ、電子書籍、VOD、ソーシャルサービスなどこの分野の戦いは一層激化と混迷を増すだろう。
それは「サービスを制するものが世界を制する」ことをすべてのプレーヤーが理解しているからだ。そしてその戦いに(妨害は出来ても)国境線は無い。
日本の携帯業界は既に気付いているだろうか。気付いていても何か「世界を動かす」ほどのプレゼンスを示せるだろうか。
僕には少なくとも冒頭のような意見を言う人たちにはこの生き残り戦を戦い抜くことは無理なのではないか、その資格は無いのではないかと思っている。
何年か後、もしかすると現在のガラケー文化は少なくともキャリア各社にとっては単なる足枷になっているのではないか。それはまさしく今は「武器」と考えているかも知れないハード信仰や三位一体の原則が逆に成長や進化を止めてしまう段階が来るのではないかということだ。
その時、これらの言説を今広めている人たちはどのような見解を示してくれることだろう。僕は今からそれが楽しみでならない。

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