gcNotifierのR0.3です。
色々追加/修正しています。
・詳細画面の追加
・XPスタイル対応
・主にネットワークエラー時などによく落ちていたのを修正
・設定ダイアログが最小化しかしていなかったのを修正
などなど
ダウンロードは以下までどうぞ。
gcNotifier
年別アーカイブ: 2006年
2006-09
17
02:46:00
ln2gc R0.3
ln2gc R0.3です。
変更箇所はol2gc R0.3とほぼ同様です。
・イベント/記念日など終日の予定が前日になってしまっていたのを修正。但し暫定です。
・指定されたユーザー名をローカルに保存して次回以降デフォルトで使えるようにしました。
・タイトルがol2gcになってた・・。
ダウンロード: ln2gc R0.3
* 解凍して適当なフォルダに入れてln2gc.exeを実行して下さい。
2006-09
17
02:43:00
ol2gc R0.3
コメントも頂いていましたので、幾つか修正とかしてみました。
終日の予定をアップすると指定した前日の予定になってしまっていたので修正しました。
でも、これってGoogle側のバグなんですよね・・。何故か前日になってしまいます。仕方ないので終日予定の場合だけ日付+1日にしてみましたが、以前は起こっておらず比較的最近紛れ込んだようなんですが、またいつか元に戻るかも知れず、その場合はまたお知らせ頂ければ直します。
また、ローカルに前回指定されたユーザー名のみ保存して次回起動時にデフォルトで表示するようにしました。
セキュリティ確保のためにパスワードは保存しません。
ダウンロード: ol2gc R0.3
* 解凍して適当なフォルダに入れてol2gc.exeを実行して下さい。
2006-09
05
00:05:00
タイムシフト権という考え方はどうか
ここ数ヶ月YouTube絡みで著作権界隈が姦しい。
そもそもここまでYouTubeが言葉の壁を越えて、特に日本人にここまで広く受け入れられるようになるとは、去年の今頃は誰も想像していなかったはずだ。
元々はインターネットというプラットフォームでは原罪のようにつきまとうはずの問題だと思うのだけど、非常に現実的に具体的にYouTubeが突きつけてきた感があって、結果的にとても面白い問題提起になっているように思う。
ここしばらくでYouTubeで話題になって、かつテレビ局などからの削除依頼で削除されたコンテンツは非常に特徴的だ。
例えば、スプーの絵描き歌、または極楽とんぼ加藤のワイドショーでの懺悔や亀田父のやはりワイドショーでの論争など、どれも「その時見てみたかった」「知っていれば見たのに」という声が聞こえてきそうな内容ばかりに思う。
これらと、例えば映画や番組をP2Pなどで丸々アップロードする行為では何やら本質的に大きく違うのではないか?と感じている。
後者はまさしく堂々たる著作権の侵害行為で誰も何も文句はあるまい。
しかし前者の場合は、多少事情も異なるだろう。
まずこれらの動画は僕たちが「その時間にテレビの前にいたならば」何ら問題なく見れた番組のはずだ。または「全時間全チャンネルを録画できていたならば」何度も気が済むまで繰り返し視聴できたはずの番組でもある(個人的な録画行為自体は法的には何の問題も無い)。
ところがもちろんそんなタイミングでたまたま視聴できる人ばかりではないし、全時間全チャンネルを録画し続ける人もまたいない。
けれどだからと言って著作権を盾にそのチャンスを取り上げられ、しかも二度と見ることもできない(ワイドショーの再放送など聞いたこともない)というのは一体どういうことだろうか。
我々は実は明確な権利を有しているのではないだろうか?
そこで「タイムシフト権」という考え方である。
テレビ番組などのように一般視聴者へ配信されるのが望まれたコンテンツならば、それをどのような時間やシチュエーションで視聴するかは視聴者自身の権利によって規定されるべきである、という考え方はどうだろうか。
まず第一に、何度か指摘されているようだけど、そもそも著作権問題は著作者における問題(それを問題とするかどうかという問題)であって、ある意味第三者である視聴者がそれをどうこう言っても始まらない。完全に蚊帳の外の議論にしかならないからだ。それがそれまで幾度と無く議論に上がってはまとまり無く流れていってしまった原因のように思う。
しかし、そこを「受益者」としての権利の問題と考えたらどうだろうか。コンテンツを介して視聴者も権利者としての議論に出来れば、「新しい時代に即した著作権の整備が必要」でいつも止まってしまう議論もより具体的に深められないか。
第二に、今日著作権はまさしく権利の化け物であると思う。
著作権の前に対抗しうる権利など無いに等しく(唯一引用が対抗しうるぐらいか。そいう論もありましたね)、著作権が持ち出されればそれ以上の議論は存在せず「著作者のおっしゃる通り」としないと世間からは後ろ指を指される感も非常にある。
権利対権利という構図はこうした閉塞感に風穴を開けられるかも知れない。
細かい突っ込みどころも幾つか気付いているのだけど、今日のところはこれで提案してみたい。
「タイムシフト権」、いかがなものだろうか。
2006-08
29
00:29:00
オーマイニュースはプラットフォームを間違ったんじゃないか?
“「匿名の掲示板で好きなことを書くだけが日本のネット文化ではないことを見せたい」”
“2chはどちらかというと、ネガティブ情報の方が多い。人間の負の部分のはけ口だから、ゴミ貯めとしてあっても仕方ない。オーマイニュースはゴミ貯めでは困る。”
“編集部員が一記者として意見を表明することはあるが、編集部が意見を表明したり、特定の意見を排除したりすることはない。”
“全く知らないわけではない。1999年から4年間、「ほぼ日刊イトイ新聞」で毎日記事を書き続けていた。その頃から、ある程度はインターネットに関する知識はある。ただ、最近の日本における複雑なIT事情については、詳しくないというのが正直なところ。そこは、勉強していく。”
(鳥越俊太郎編集長)
ということなのなら、オーマイニュースはmixiのコミュあたりから始めればよかったのではないか。
何と言ってもタダで使えるし周りは実名(多分)だらけだし。右から左からのマイミク(記者)も一杯来るだろうに。
唯一、編集部という便利な隠れ家だけは無さそうだけど・・。